聖域なき
[2002.4.10]
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「聖域なき何とか」
最近のはやり言葉。とにかくよく耳目に飛び込んでくる「聖域なき‥」。発端は小泉さんの「聖域なき構造改革」だろうか。発端がどこであれ、流行最先端を自負する我が家としても、この言葉を取り入れないわけにはいかない。
そこで、我が家でも「聖域なき‥」に取りかかった。
「聖域なき掃除」
4月になり家に入った僕であるが、専業主夫の視点で眺めてみて改めて感じたこと。「ずいぶんと汚れちゃってるな」。そう、家が随分と乱れ汚れてることに気付いた。本当はずっと知っていたのだが、年度末の仕事の忙しさに目をつむって見ない振りをしていた。
だが、今や専業。
家の中のことが僕の仕事。いざ、断行。
「聖域なき掃除」
僕は、性格上、はじめるとトコトンやらないと気が済まない。チョコチョコっと片付けするのがとても苦手で、ちょこっとをずーっと貯めこんで、インジケーターの針が振り切れる寸前に、あるいは振り切れてしまった時に一気に片付けするという特徴がある。加えて困ったことに、片付けを始めると奥の奥から物を引っぱり出してきて、根本から見直さないと気が済まないという特徴もある。だから片付け初期の段階では、片付けているというよりむしろ汚している、そんな最悪の状況に陥るのである。
である。
今回も例にもれず、それはもうすさまじい大掃除になった。ここで敢えて断っておきたいのが、掃除に大が付くのは本人の意志では無いということ。いつだってそうなのだが、僕だって世渡り上手にごまかせていけたらと思う。思うけど、思うのに、取りかかりはじめると1日では終わらない大掃除になってしまう。
いつだってそう。
さて、今回は聖域なき掃除ということで、ふだん見て見ぬ振りをする場所に踏み込んでみた。そこは実際よく見てるはずなのに、そして実際ホコリがたまってるのもわかってるはずなのに、なかなか手を出さない場所。家庭掃除におけるT聖域Uといって間違いないだろう。そんな誰もがそっとしておきたい場所。
それが、テレビの裏。
テレビの裏はホコリの巣。コードというコードが無造作に絡み合い、ホコリというホコリを無差別に絡みとる。空気の流れに乗って部屋中を飛び回るホコリ達に、実は最も怖れられてる場所。それが、テレビの裏なのだ。
「あそこに行き無事帰ってこれた者はいない」
by ホコリ村の長老。
そんなテレビ裏だから、汚れてることは見なくてもわかる。テレビ裏は間違い無く汚れてるのだ。だから皆見ない。確認しなくても汚れてることはわかってるから。だから確認しない。そして、そっとしておく。
しかし今回はT聖域なきUがテーマ。テレビ裏に踏み込んでこそ政策の断行と言える。だがここまで決意を固めていても、テレビ裏に手を出すのは勇気がいる。手を出しちまえば簡単に収拾がつかないことがわかってるから。あぁ、もう一歩の踏み込みがどうしてもできない。
犠牲がいるな。
テレビ裏を掃除するために、、、僕は新しいテレビを買った。「新しいテレビを迎えるために」という理由が、1歩を踏み出せない僕の背中を軽やかに押してくれた。
おかげでとても綺麗になった。
なんてのは半分冗談。掃除のためにテレビを買ったというより、テレビのために掃除せねばならなくなったというのが本当。こうして聖域の掃除はとことんなされたのであった。
今回の教訓・・・聖域なき掃除の断行には、ある程度の犠牲が必要。
例えば僕の福沢さんとか・・