エビの尾の1
【9.16】
えび天。エビフライ。どちらもとても好きだ。こよなく愛してるとまでは言わないが、こよなくの次くらいには好きだ。
でも僕はシッポは食べない。
いや、正確には、食べなかった。
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先日、弟と一緒にエビフライを食べる機会に恵まれた。僕ら二人は、瀬戸内からの帰りで、タイミングを逃してお昼を食べてなかった。そんな空腹な兄弟に、立ち寄った家でエビフライがふるまわれたのだ。
本当は別な用事があって、その家に立ち寄ったのだが、偶然にもそこでは、エビフライが今まさしくカラッと揚がるところだった。
まるで僕らの到着を待ちわびるかのように。
もちろん、そのエビフライは、僕らのためのものではなかった。それは偶然の産物であり、ふるまわれる予定もなかった。ただ、もの凄くいい匂いを漂わせていた。
その後、話すと長いので話さないが、僕らは何とかしてエビフライにたどりついた。揚げ立てのエビフライ。1人2尾のエビフライ。あぁ、エビフライ。
サクッ・・
僕はエビフライにかぶりついた。弟もエビフライにかぶりついた。二人して「旨い!旨い!」と歓喜の声をあげながら、勢いよく且つ大切に、僕らはエビフライにかぶりついた。
その時である。食卓をはさんで目の前にいた弟が、無造作にエビフライのシッポを口の中へ放り込んだではないか。
僕は正直驚いた。「あいつはエビフライのシッポを食べる人間だっただろうか」と自問自答もしてみた。しかし結局、その答えが出ることはなかった。だから僕は弟にたずねた。「どうしてエビのシッポを食べたのか?」と。
弟は答えた。「敬意だよ」と。
そう、僕らはお腹を空かせていたが、自分達ではどにもならない状況にいた。そんな中、不意にふるまわれた2尾のエビフライ。それは言わば、地獄に垂らされた釈迦の雲の糸さながらであった。それは、極楽へのいざない。
ありがたや。
その感謝の気持ちは、エビフライに対する敬意となって現れた。例えシッポであろうとも、我らを極楽浄土に導いてくれた貴重なエビの一部である。そんな雲の糸的なエビフライの一部を無下に扱っていいのか。いーや、よくない。釈迦のエビフライ。一寸たりとも残すことは許されない。家に帰るまでが修学旅行。シッポも含めてエビフライなのだ。
かくしてエビのシッポは、弟の口に入ることとなったのだ。エビフライのシッポは、弟の口の中へと消えていった。
尊敬の念とともに。
もちろん僕の目の前にあったエビフライのシッポも僕の口の中へと消えていくこととなった。
尊敬の念とともに。
かくして、もともとエビのシッポを食べる人ではなかった私は、その一件以来、敬意を払うべき見事なエビ的調理食品と出会った時に限って、シッポまできちんと食べるようになった。