6/19「梅雨と台風」
今年の梅雨は台風が多い。通常なら発生しても東や西に流れていく台風が、今年はうまいぐあいに北へ北へとのぼってくる。いや、のぼらされている。どちらかというと受動的に生きる台風は、自分の進路を自分で決めることができない。まわりの高気圧や偏西風が用意した道を台風は進んでいく。その気持ちは「よし!こっちに行こう」ではなくて、「えー?こっちっすか」ぐらいのもんだろう。「はいはい、わかりましたよ」とされるがままに進み、最近は奄美方向によく導かれるというわけだ。
そんなこんなで今年は、台風が来ては豪雨をもたらし通り過ぎるとよく晴れる。といったメリハリのある梅雨期となっている。梅雨の割に晴れの日が多いのは、もしかしたら台風のせい?。たぶん。
さて、台風といえば風の心配はもちろんだが、雨の心配もある。特にこの時期の台風はもともと日本の上空にある梅雨の雲に力を与え、梅雨と台風とが協力しあって雨を降らせるからやっかいだ。シトシトと比較的おとなしい雨を降らせる梅雨の雲も、台風の力強いバックアップがあれば百人力。台風から贈られる「あたたかい湿った空気」を使って、ザーザーゴーゴーと雨を落とすことができる。エネルギーは十分。さあ集中豪雨のはじまりだ。
激しさを増す雨。薄れる視界。時おり滝に突っ込んだようにフロントガラスを水が流れる。ワイパーが足りない。まだ風は吹いていない。台風前の奄美。雨に激しく打たれる島はどんなだろう。住用村から湯湾岳経由で大和村へ。ドライブしながら道路から見える島を眺めた。
水は高いところから低いところへ流れる。天から落ちてきた雨粒も、一つ一つが集まって水の流れとなり、海へ海へと向かっていく。湯湾岳を取り巻く林道を走ると、普段は何もない山の斜面のいたるところに滝ができていた。大量の雨が地表のいたるところに川を作り水を流す。その流れもいずれは大きな川へと導かれていく。小さなシダ植物が茂る道路脇の斜面。シダの葉をかきわけるように滝は落ちていった。
そのまま林道を大和村の方へおりていく。名瀬への帰り道は東シナ海を見つめながら。雨足はおとろえることを知らず、むしろ激しさを増すばかりだった。激しい水の勢い。山頂付近ではまだ透明だった川の流れも、海へ達する頃にはだいぶ色付いていた。地面に転がる世間のしがらみを余すことなく拾ってきたのだろう。すべからく地表のものは全て海へ流れる。栄養も汚れも、いっさいがっさい混ぜこんで。
特殊な効能のある温泉。そんな色をした海を眺めながら海岸線を走った。これだけの激しい雨だ。長年洗われてきた山からだって濁りはでるだろう。もちろんそれだけじゃないのは明らかだが、ダムを作るのを止めるわけにはいかないし、道路を作るのを止めるわけにもいかないし、家を建てるのを止めるわけにもいかないし、畑を作るのだって止めるわけにはいかない。この島で人が生きるということは、赤土色の入浴剤を海に流す可能性に満ちているのだ。でも、、、どうにかいい方法はないんかよ!とも思う。海にだって許容範囲ってものがあるはず。そろそろ限界きてないかちょっと心配。
島の海岸は川が運んでくる土砂で作られるわけじゃない。みんなが頭に描く白い砂浜は、全て海の生物の死骸で出来ている。砕け散ったサンゴや貝殻、有孔虫などの微生物が作る星砂や太陽砂、ウニの殻やトゲ、そして海藻。海の砂をすくってみると、いろんな生物が浜辺を作っているのがわかる。つまり海の生物達が生活できない海岸では、白い砂浜は産まれないのだ。
毎年、オンシーズンになるとどこからか砂が運ばれてくる。将来、そんな海岸にはなって欲しくない。海の生物達が健やかに暮らしていける。そして生の証を残していける。そんな、砂が産まれる海岸であって欲しい。土色が広がる大浜海岸を遠くから眺めながら、そう思った。