9/3「いつか風になる旅」
auのCMであの曲を耳にして以来、素敵な光景に出会うといつも例のメロディーが流れてくる。元ちとせの新曲「いつか風になる日」。竹野内豊が歩いていた風景は、奄美でもなかなか見られないものだ。田舎の島といっても、奄美の社会基盤は猛スピードで整備されてきた。日本に復帰してから今年で50年。基盤整備はもう頭打ちと言っていいぐらい十分に仕上がっている。目に見えるこの島の多くは、あまねく美しさをたたえた島の原風景から遠ざかりつつある。島で生きる人間にとって「便利さ」はとても有難いことだ。でも必要以上の設備投資は大事にすべき島の姿さえも奪ってしまう。セメントで固めることで得るものと失うもの。これからの奄美のために、そろそろちゃんと考えなきゃいけない時期にきている。便利さを追い求めるだけで果たして良いのだろうか、と。
ふと考える。不便は便利に勝てないのだろうか。不便であることはそんなにマイナスなのだろうか。そんなことはないと僕は思う。便利さを追い求めると物事は自然とスピードを増していく。慣れてしまった自分の日常のスピードはどれぐらいの速さで動いてるのだろう。そのスピードをちょっと遅くしてみる。いつも車で通り過ぎる所を寄り道して歩いてみる。電車の窓越しに行き過ぎるだけだった風景にちょっと足を踏み入れてみる。スローにスローに。無駄に時間がかかる行為。でもきっと違うものが見えてくる。あのスピードでは気付けなかったであろうものに気付くことができる。見過ごしていただけのものに、ただ気付く。ただ気付くことに喜びを感じられるようになれば、不便もちょっといいじゃないかと思える。不便であることを楽しめれば、不便はとてつもないプラスを産んでくれる。それはきっと心に残るプラス。
先日、船に乗って旅に出た。奄美から鹿児島へ。鹿児島から奄美へ。片道10時間の船旅。船室に押し込まれ波に揺られる10時間。片道50分の飛行機に比べれば何と不便なことだろう。だが飛行機には飛行機の、船には船の時間の流れがある。同じ光の中で、次から次へと景色が移り変わる飛行機の時間。船の時間は、ゆっくりとして景色はほとんど動かない。代わりに光が移り変わってゆく。
夕方6時。出発した頃にはまだ青々としていた空。目の前に桜島が大きく迫った時、見上げた空は真っ青だった。その桜島もゆっくりと遠く離れていき、次第に小さくなっていく。それと同時に空もほんのり色付き、青にオレンジや赤のにごりが加わる。やがて、ぼんやりと夕方がやってくる。薩摩半島に陽が沈もうとする時、ようやく薩摩富士「開聞岳」が見えてくる。鹿児島に別れを告げる開聞岳。開聞岳の向こうで空は夕日に染まり、刻々と変化しつづける。僕らはそれをただ見つめている。動いているか動いていないかもわからない船の上で、僕らはただそれを見つめている。景色が流れていくのではない。流れていくのは時間。スローな船旅は、時間を味わう旅。
そうだ。不便を楽しむとは、時間を味わうことなのかもしれない。そう気付いた時、耳もとにまた元ちとせの歌声が聴こえてきた。