8/3 「奄美祭りを飾る華」

 2日の島唄に始まり、5日の八月踊りまで行われた奄美祭り。恒例の花火大会は3日にあった。当日は朝から雨模様。天気予報では昼から晴れると言っていたものの、雷の音に疑わしさは増すばかり。だがしかし、天気予報は凄かった。あんなにたちこめていた雲も、正午を過ぎると勢いを失いだし、気がつくと青空が見えるようになった。「今夜はありそうだな」と一安心。

 毎年この時期にある奄美祭りだが、僕が実際に花火大会を見たのは過去3度ほどしかない。その3度の中でも一番印象に残っている花火大会がある。あれは僕が小学生だったか中学生だったか高校生だったか。いつ頃だったかは思い出せないが、とにかく夏のある夜のことだった。

 ドーン!ドドーン!と遠くから響いてくる音に、僕達はその日が花火大会だということに気付いた。そして半ば「今からじゃもう遅いよ」と思いながらも、母の運転する車に乗りこんだ。案の定、渋滞の列はひどく、車内は「絶対に間に合わないよ」という雰囲気に包まれていた。テールランプの列は、少しずつ、だが、確実に、市街地へと近づき、山羊島トンネルを抜けると、遠くに光が見えはじめた。「花火だ」

 その存在を確認できたとは言え、まだ遠い別世界で打ちあがる花火。音と光のさらなる迫力を求め、「もっと近くに」と思いだけが強くふくらんでいく。相も変わらず目の前には、赤いストップランプが規則正しく列をなし、哀しいほど花火は遠くにあがっていた。そして、もっと絶望的なことが僕らを襲った。佐大熊防波堤。長い直線道路沿いに立った防波堤が、僕らの視界から花火の光を奪ったのだ。残ったのは音だけだった。

 時折、かすかに花火らしき光が現れたが、多くは遮られた空に埋没したまま決して上ってはこなかった。音だけが、向こうで花火が上がってることを証明していたが、証明は証明以上の何ものでもなく、音は音以上の何ものでもなかった。音は音でしかなかった。そしてついにその音も止んだ。

 すべてが終わった。車内には絶望が漂っていた。誰も口には出さないが、絶望は確かに漂っていた。絶望というものは空気を支配するのがとても上手い。車内は完全に絶望に包み込まれていた。だが次の瞬間、絶望を切り裂き飛び込んでくるものがあった。まばゆい閃光だった。

 反射的に顔を上げる、大輪の火花が目をさらった。大輪は高かった。僕らにとって絶望の象徴ですらあった防波堤も、大輪から見ればちっぽけなもんだった。大輪は凄かった。中心から黄金色の炎柱を放射状に打ち放ったかと思うと、まるで意志を持ったかのように大輪は、名瀬の街を覆わんとした。大輪は、圧倒的だった。すべてを放出した大輪は、夏の幻を象徴するように静かに消え落ちていった。

 その夏、僕はシダレヤナギの名を知った。


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